新潮講座の内容を書き起こしたもので、資本論の読み方を契機に様々な教養を説く。
マルクス経済学では、労働力商品の対価すなわち賃金は生産論で扱われ、分配論には組み込まれない。 賃金は生活費、再生産費、自己教育費から成り立つもので、富の分配ではない。
資本主義の論理に巻き込まれると、死ぬまで働かされるというスタイルになってしまう。 資本主義社会には自己実現などない。 ここから抜け出すもっとも現実的な方法は、職人、画家、作家、開業医、ラーメン屋のような労働力が商品化されていない世界の小商品生産者になること。彼らは労働者でも資本家でもない中間階級であり、いわば資本主義社会システムの中の抜け道と言える。
ディミトリー・ピサーレフの提唱した「思考するプロレタリアート」という概念には共感を覚える。上昇志向がさほど強くない労働者階級の立場ながら、 読書人であり、エリートと対等に議論できる論理や知識を持った人々。「意識はブルジョアで生活実態はプロレタリアート」というレーニンの定義したインテリゲンチャに重なる。
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