飯山陽, イスラム2.0 SNSが変えた1400年の宗教観

イスラム教は神の言葉を書き留めたコーランや預言者ムハマンドの言行録であるハディースといった啓示に従うのがその本義である。ところが、発祥以来1400年間のイスラム1.0は啓示の知識を法学者が独占することで、イスラム法と啓示の乖離を許容しながらも現実と折り合いをつけ、社会の安定に努めてきた。しかしながら、インターネットを通じて啓示テキストに簡単にアクセスできるようになると、原理主義的なイスラム2.0が台頭してくるようになった。このイスラム2.0の最も先鋭的な姿がジハード主義者であるが、イスラム教がコーランとハディースという啓示を絶対的な価値として掲げる以上、従来の宗教エリートも啓示に忠実にジハードを行う者を否定するわけにはいかない。この構図で見ると、現在のイスラム教改革が行き詰まる理由がよくわかる。

一般的な日本人にはなかなか受け入れがたいイスラム教であるが、上述の啓示の絶対視を始点に考えると実に筋の通った宗教である。近代的な政教分離もイスラム教の立場では神の命令に背く不自然な政治に過ぎない。時代や人々の考えの変化に合わせて法や制度を変えるべきという考えも近代的価値観に過ぎず、気まぐれに変わる時代や人の気分に左右されない天賦の無欠缺なイスラム法にこそ価値がある。イスラム教徒から見ると、近代的価値観は啓蒙されていない未開の人々に映る。近代的な視点からはイスラムには平和、自由、平等がないように見えるが、それはまったくの誤りで、彼らの平和、自由、平等が近代的な平和、自由、平等と異なるだけである。

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