小島庸平, サラ金の歴史 消費者金融と日本社会

戦前から現代にいたるまでのサラ金や消費者金融の歴史を辿ることで、金融技術の発展やサラリーマンの実態、ひいては日本の経済史までもが見えてくる。

銀行などの金融機関から金を借りたくとも借りられない人々向けの高利貸の歴史は長く、戦前は個人間の資金貸借が盛んに行われていた。これがサラ金の源流と言える。とはいえその実態は素人高利貸に過ぎず、現代のサラ金に直接繋がる勢力が生まれるのは、戦後の団地金融を待たねばならなかった。

その団地金融の代表格が1960年代から1970年代にかけて消費者金融界の東西の両横綱と称された森田商事と日本クレジットセンターである。彼らは当時最先端の金融技術 (フィンテック) として、日本住宅公団による厳しい入居審査を通過した団地入居者を狙い撃ちして貸付することで、貸付審査コストを大幅に節約することに成功し勢力を伸ばした。1960年代からは現代のサラ金に直接繋がるアコム、プロミス、レイク、武富士、アイフルらが誕生し、それぞれ独自の金融技術を駆使してのし上がってくる。連帯保証人を取るアコム、上場企業社員に限定して貸付したプロミス、命懸けの接待で巨額の資金を調達した武富士、いずれも金融技術の革新により大きな成長を遂げてきた。

その後、1970年代の第一次サラ金パニック、1980年代の第二次サラ金パニック、2000年代の改正貸金業法と、様々な逆風がサラ金を襲い、現在はその栄光を喪失した時代と言える。それでも信用保証や債権回収の事業の拡大、アジア圏への進出、メガバンクの傘下入りなどで生き残りを図れているのは、積み重ねてきたその泥臭いながらも強靭な金融技術のおかげと言えるだろう。

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